挑戦できないのは自信がないから?
今日はマザー・テレサの言葉を抜粋。
最近、後輩と話していたり、
自分が仕事に詰まったりするとよく感じるのは、
『誰かに基準を求めている』ということ。
自分で自分の目標を決めてやっていけばいいのに、
それが社会的に、もっと言うと、親が先生が友達が
認めてくれているかどうかが気になる。
自分が立てた目標を達成することよりも、
誰かに認めてもらうことの方が意味があると
思ってしまったりね。
でもそれって意外としんどいよね~。
なんでそう考えてしまうんやろ??
その根本を教えてくれる
マザーテレサの言葉を発見しました。
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愛されている実感を持っている人は、こころの安定、
安心感を持つことができます。そして、だからこそ、
人生にチャレンジすることもできます。
私が、仮に落第しても、破産しても、
それでも私は愛され続けるだろうと確信できれば、
楽しく勉強や仕事ができますし、思い切った勉強や仕事もできるのです。
このような気持ちで高い目標を目指すことは、
もちろん意義があり、充実感を得ることができます。
しかし、勉強しつづけ、仕事をし続け、
「良い子」を演じ続けなければ愛されないと感じているとしたら、
何をしても本当の満足感は得られません。
愛されていないと感じる人は、愛へのゆがんだ欲望を持ちます。
人から愛されるために、身体を提供する女性もいます。
死ぬまで働き続ける人もいます。
命を懸けた暴走運転をこともあります。
自分の全てを犠牲にして、人気取りに夢中になる人もいます。
名誉やお金のために必死になる人々がいます。
愛されていない不安を打ち消すために、着飾り、虚勢を張り、人を攻撃する人もいます。
自分を愛せず、自己卑下する人は、自分と一緒に、
周囲の人も落ち込ませます。
自分は美人じゃないからダメだ。
学歴がないからダメだ。
金持ちじゃないからダメだ。
そんなふうに考えることは、世の中のそういう人々を
みんなダメ人間だと決めつけることになります。
自分を愛せず、自己破壊的な行動をとり、犯罪を犯す人々もいます。
愛されていると感じている人は、自分を愛することができ、
多少ぐれたとしても、最期の一線で踏みとどまることができます。
自分を愛せる人は、人を愛せます。
自分を肯定的に受け入れられる人は、他者も肯定的に受け入れることができます。
自分を愛し、人を愛することは、人間関係を良くする一番の基本です。
あなたに親切にしてくれる人を愛すれば、ますます人間関係が良くなるのは当然です。
さらに、あなたを攻撃したり、困らせたりする人々と
うまくやっていくための心理学的なコツも、
じつは、その人を理解し、愛することなのです。
なるほどネ!